そして父になる

父になりました。

先日、第一子が無事に生まれてくれました。

生まれた瞬間は右の肋骨が折れているのではないかと言われ、未だに左を向くコトが好きなようですが、右手も普通に上がるようになり、すくすくと育ってくれています。
(恐らくSNS/blogの類で初めてすくすくという擬態語を使った気がします)

妻と息子は今実家にいるため、常に一緒という訳ではありませんが、日を追う毎に成長を感じ、可愛くて可愛くてたまりません。

保育士として、この1年以上、日々子どもたちと接してきましたが、仕事として1:多数でデイタイムに接することと、親として自分:1/夫婦:1で無限責任で接するコトの差を痛感しており、登・降園時にあんなに子どもに興味がなさそうだった保護者も家でこんなに手をかけていたのかと驚かされています。

当事者になって初めて、どんなバックグラウンドでも同じ働き方が求められることの不条理さ(子育てを趣味の一つとして捉えるのは、流石に未来が続かない)や、今まで自分自身が無制約で働けてきた分、日々の成果が目に見えないことへの焦りを感じますし、産めない理由や産まない自由も尊重した上で、生まれた子どもに対しては親だけでなく(ヒト・カネを)社会で支えるべきだと強烈に感じています。(親ペナルティ・マミートラックなんて言葉は社会が病んでいるとしか思えない)

ちなみに育児休暇についてですが、保育・子育て領域にこれまでも資格を取って現場にも出て真摯に取り組んでつもりですので、保育園にはいない新生児・6ヶ月未満の育児もキャリアパスの一環だと捉えているため、敢えてイクメン!育休!と宣言するよりも、今回の育児の経験を世田谷区・東京都の子育て環境の向上に生かしていくことが自分に求められていくコトだと考え、子育て政策の提言という職能を上げるための機会としていきます。

※逆に民間企業で育休を取られている方のお話しは是非聞きたいです。育休当事者の声は政治の場に届いているようには全く見えないので、一緒に政策につなげさせて下さい。

また子どもが生まれたことで、改めて未来への責任をより一層自覚するようになりました。
彼が今の自分と同じくらいの歳になる2050年には、この国の人口は1億人を割り、高齢者が40%に達すると言われています。
先人のワガママとツケにより過大な負担を強いられる結果が見えている社会(しかも自ら危機感を感じて変わるコトはない)で育てていくことには不安と申し訳なさもありますが、今少しでも社会の舵取りに携わっている人間としては、彼一人を救命ボートで逃すコトではなく、あらゆる既得権やムダ遣いを破壊し、真っ暗な未来をせめて薄暗い状態、手探りで前へ進める状態で渡すコトを第一に考えていきたいと思います。

最後になりますが、これからは子どもと一緒の人生となり、もう少しすると物理的に子どもと一緒の機会もあると思いますので、そんな時はどうか温かい目で見守って頂ければ幸いです。

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